公明党 高野博師議員の発言抜粋

第162国会 - 参議院 - 憲法調査会 - 4号 議事録抜粋
平成十七年三月二日(水曜日)
   午後一時二分開会

○高野博師君 まず最初に、総論的な意見を述べたいと思います。

 憲法論議、憲法改正問題は、今後五十年ないし百年、日本という国が国際社会の中でどのような位置を占めていき、どのような生き方をすべきかを展望した時代認識と世界認識の上に論ずる必要があるのではないかと思います。したがって、しっかりした国家観、世界観、そして人間観が求められていると思います。憲法のための憲法ではなくて、国家と国民のための憲法であるということは言うまでもないと思います。

 想像以上の速さでグローバル化し、変動する国際社会の中で、存在感を示し、他国から尊敬され、信頼される国であり、何よりも国際的な競争にも生き残れなければ、どんな憲法が存在しても意味がない。立派な憲法は残ったけれども、日本という国は消滅したということになっては意味がないということであろうと思います。

 現に、今は国家にとって様々な危機的な状況はいつでも起こり得るということが言えると思います。経済・金融危機、エネルギー・食料危機、テロ、地球環境の破壊等と、当然これらに対応できる国の在り方を考えなくてはならないと思います。

 ただし、ここでの憲法論議は、あくまでも主権国家として存在し得るという前提であります。EUのような統合、あるいはEUとしての憲法のようなものは想定しておりません。

 どのような国であるべきか。本質的には、私は、一言で言えば人間の尊厳を実現できる社会国家ではないかと思います。ちなみに、人間の尊厳という言葉は個人の尊厳とは概念が違うと思っております。現行憲法でうたわれている個人の尊厳は、フランス革命以来の西洋型民主主義の中での人権の概念であると思います。人間の尊厳とは、正に文字どおり、人間と人間の関係の中で実現されるべき尊厳であり、生命の尊厳という理念に根差していると言えます。

 人間の尊厳の実現のためには、平和と自由と民主と人権の尊重が当然のことながら必要であります。テロや環境破壊、自然災害、ましてや戦争は人間の尊厳を侵害する最たるものと言えると思います。具体的な政策面では人間の安全保障という表現もできると思います。

 今の日本は国家として硬直化しているのではないかと思われます。組織や政党も、絶えず自己改革しなければ硬直化し時代の変化に対応できなくなると思います。国家も同じく自己改革できる理念、システムを憲法の中に盛り込むべきではないかと思います。

 各論について何点か述べたいと思います。

 各政党やマスコミ等の中には憲法草案を策定しているところもありますが、憲法の全面的改正は、軍政から民政への移管とか、あるいはクーデターでも起こった場合にでもなされることであり、普通はあり得ないことだろうと思います。そして、全面的、あるいはそれに近い改正を目指すのであれば、現行憲法第九十六条の改正手続によるのではなくて、新たに憲法制定議会を招集して、憲法問題を本格的に、専門的に、多角的に各界を代表する議員で議論をし、制定すべきではないかと思います。憲法調査会の、あるいは政党内の議論だけでは十分に国民の意向を酌んでいるとは言い難いのではないかと思います。

 第九十六条は部分的改正しか想定していないし、法的にも現行憲法の理念、原則は踏襲するにしても、全面的な改正には無理があると思います。第九十六条が現行憲法を否定する、あるいはこれを超える憲法を想定していることはあり得ないと思います。我が党は、部分的な改正、追加の加憲という立場を取っておりますが、これが最も現実的ではないかと思います。

 我が国の国際貢献は、国際社会、グローバルビレッジ、地球村の一員として当然の責務であり、第九条との関連での自衛隊の役割に限定する必要はないのではないかと思います。自衛隊も含め、NGO、NPO、市民団体等、様々な形態での人道支援、ODAを通じての非軍事的な協力等が考えられるわけで、国際貢献あるいは国際協力として新たに条項を設けて規定してもよいのではないかと思っております。

 国際貢献の中でこれから最も重要になるのは、地球環境分野ではないかと思っております。地球上で毎日二百種以上の種が絶滅している、五十年後には今の三五%の種が絶滅するということも言われておりますし、毎日数万ヘクタールの砂漠化と森林の消滅が起きておりまして、また最近の大規模な自然災害の頻発等、さらには、今後、水不足、農業生産性の激減等が予想されております。この地球は、生物多様性と持続可能性の社会とは懸け離れつつあるというのが現実であります。また、地球温暖化は大量破壊兵器そのものだという見方もあるほどであります。新しい人権として知る権利やプライバシー権と同列で環境権が論じられておりますが、人権としての環境権はそれはそれとして、よりグローバルな、地球環境問題は地球益、人類益の視点から、我が国が技術革新等をもって世界に貢献できる分野であろうと思います。今後、五十年から百年の人類の課題に挑戦する国であれば、国際社会の中で正に名誉ある地位を占めることができると思います。国際貢献の中に地球環境という文言を入れてはどうかと思います。

 この国が時代の変化に迅速に対応できる国であるには、官僚主義、官僚政治からの脱却が必要であろうと思います。日本で改革が進まない最大の理由は官僚主義にあると言われております。司馬遼太郎氏が日本は明治の太政官制度以来の官僚政治の本質は変わっていないとも言っておられたと言われています。立法と行政の在り方は十分工夫が要るし、行政は忠実に法律を執行することに専念させるという制度が必要だろうと思います。法律は理念規定や抽象的な表現では官僚の権限を増すばかりでありまして、憲法上の規定の次元ではないかもしれませんが、官僚の裁量権や解釈権を拡大させない制度が求められているのではないかと思います。官僚に国家戦略を練らせ国の方向性を考えさせるのは無理でありまして、それは政治や立法がやるべき仕事であろうと思います。

 外国人の地位について、これから少子高齢化社会に対応するために外国人労働者の受入れも早晩行われることになろうと思いますが、外国人の権利と義務、人権をきちんと憲法に明記すべきではないかと思います。憲法で二重国籍を認める国も増えてきております。時の政権や国民の一時的な感情によって外国人の人権が侵害されないよう、憲法上の明確な規定が必要であろうと思います。欧州の右翼政党の外国人排斥運動などの動きを見るにつけそう思います。

 東京に直下型地震が起きた場合に、マグニチュード七以上で百十二兆円の損害が出るというような予測もなされておりますが、こういう問題についてどう対応するのか、依然として見えておりません。日本は災害に弱い国だとの評価もあって、外国資本も逃げていく傾向も見られております。危機管理体制の整備が叫ばれて久しいのでありますが、依然として不安が残っております。私は、危機管理ということについて憲法上の言及が必要であろうと思います。

 最後に、選挙制度と二院制の関係で、衆参両方で自分の選挙区あるいは地元の問題を取り上げ、地元利益の代弁者的な発言あるいは行動が相当見られますが、私はドイツ型の二院制等も検討に値するのではないかと思います。例えば、上院は選挙区、地方の問題だけを取り上げると。そして、その代表というのは州の政府高官あるいは州のトップで構成される。そして下院は、外交、防衛、教育、福祉等、全国、国レベルの問題に特化して議論すると。で、全国的にこれは選ばれると。こういう二院制の在り方も考えてもいいのではないかと思います。

 以上です。


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