重国籍は国際化のインフラである 栗崎由子

平成16年6月5日

私は、現在、ヨーロッパで働く日本人です。

私は、1989年、日本の外で、日本の社会から離れた場所で、自分のを試したいと思い、ある国際機関にポストを得たのを契機に、ヨーロッパで働き始めました。

ヨーロッパでは、パリに本部を置く国際機関で仕事をした後、ジュネーブに本社を置くある多国籍企業に移り、現在に至っています。

ヨーロッパに来て以来、国境を跨る国際機関や多国籍企業でばかり仕事をしてきました。日本関係の仕事を担当したことはありません。仕事で日本語も使いません。こういう、もろに国際社会とも言うべき環境の中で、仕事をしてきました。これからも、国境、国籍に関係なく、仕事を続けていきたいと思っています。

交通通信手段が発達し、人の移動がすっかり便利になった現在、私のようなキャリアを築く日本人は、これからも増えることでしょう。

そういう立場にある者として、日本にとっての、重国籍容認の必要性を述べたいと思います。

1.人は国境を越えて動く

ヨーロッパの国際機関や、多国籍企業で働く人には、自分の生まれた国、両親の国、自分が学校に行った国、仕事をしている国が皆違う、という人がたくさんいます。人が国境を越えて動くからです。そういう環境の中、国籍を二つ三つ持つ人は、珍しいことではありません。

例えば、友人のマリア、両親はポーランド国籍、自分は父の赴任地、バングラデシュで生まれ、タイとジュネーブで学校に行った。今は、スイスとポーランドの国籍を持ち、スイスで仕事をしている。

また、仕事仲間のベン、自分はアルゼンチンで生まれたが、祖父母がイタリア国籍を持ち、子供の頃、両親と共にアルゼンチンに移住した人たちであることから、彼は、元々アルゼンチンとイタリアのパスポートを持っている。長い間アメリカで仕事をしているので、最近アメリカ国籍を取得した。

こんな具合です。

同僚や友人との話の弾みに、「あなた、日本国籍しかないの?」と、意外そうに言われることもあります。国境を越えて人が動く現代、多くの国は、国籍制度を現状と合うように作り替えてきました。現代社会では、重国籍はそれほど、当然で自然なことなのです。

2.重国籍は人権のインフラ

国籍は、精神の拠り所という人もいるでしょう。それ以外にも、国籍は、日本の外で、安定した法的地位を持って仕事をするための、重要な基本要件、という点を認識する必要があります。

人が国境を越え、仕事を求めて動く。これは、経済のグローバリゼーションに伴う、当然の動きです。人が、どこに自分の望む仕事の場を見つけるか、その選択肢は今や世界中に広がっています。必ずしも自分の国籍のある国である必要は、ありません。

ヨーロッパの国々は、国境を越える人の移動が増加するに伴い、国籍制度を現状にあうように作り替えてきました。国境を越えて働く人々が、安心して活動出来るよう重国籍を認め、国籍を付与しているのです。

ある国で安定して仕事を続ける上で、その国の国籍を持つことは必須です。働く権利は、基本的人権の一部です。ある国で働くと言うことは、その国で働くに際しての、納税などの義務を受け入れると同時に、居住地、労働の選択等、働く人間としての基本的人権が保障される、ということです。重国籍は、基本的人権を維持するインフラなのです。

多くの国では、外国人には労働許可が発行されます。例えば、私の現在住むスイスにも、その制度があります。私は今、労働許可が発行されているから、スイスに住んで働けるのです。それで満足出来る人々もいます。例えば、日本企業から、2年、3年など、期間を区切って国外に派遣され、そこで仕事をする人達です。この様な人には、国外の労働は一時的なので、その国の国籍取得を望むまでには至りません。社会保障も、日本の本社を通じて与えられます。

しかし、国際的に仕事を続けようとする人々には、外国人向けの労働許可だけでは、不十分なのです。

労働許可と、国籍との間には、雲泥の差があります。

自分の仕事を選択する上で、国籍が無いと、選択肢が大きく狭められます。私事になりますが、私の労働許可は、私の会社が、会社所在地の州政府に申請します。私個人に申請する権利はありません。リストラなどで私が職を失うと、私は同時に労働許可も失います。同時に、私はスイスに住み続けることが出来なくなります。スイスに居住する法的権利が無くなるからです。

国籍を持っていると、その危険がありません。私の居住権、労働権が、国籍によって保証されるからです。私は、じっくり次の仕事を探したり、あるいは個人でフリーランスとして仕事をすることが出来ます。つまり、その国の国籍を持って初めて、安定した法的権利を得て、仕事をすることが出来るのです。

重国籍を持つことで、国際社会で仕事をする人間の基本的人権は、保障されるのです。

3.日本の国籍制度は、経済のグローバリゼーションに追いつく必要がある

国家の行政制度は、経済活動ほど素早く変わりません。そこに、国籍制度と、国境を越えた労働移動という現実との、矛盾が生まれます。

経済のグローバリゼーションは、日本の生きる道です。日本は、天然資源が少ない国です。従って、日本は、付加価値の高い製品やサービスを外国に供給してこそ(=販売)、石油や食糧等の一次産品を輸入して(=購入)、国民全員が生きて行かれるのです。

経済活動の基本はヒト、モノ、カネです。モノやサービスが動けば、当然、人もそれに伴って動きます。従って、人の移動の障害も取り除く必要があります。

国籍を一つに制限する制度は、人の国際移動の自由を制限する、ひいては経済活動までを制限する、大きな障害です。

4.重国籍は日本にプラス

日本国籍と他の国々の国籍を併せ持つ必要のある人の数は、増える一方です。この流れは止められません。世界的な変化だからです。

そういう人達が、安心して、日本に住んだり、国外に住んだり出来るように、国籍制度を改める事が実現するとしたら、次のような、プラス効果が期待できます;

@ 日本国籍を持つ人々が、国外で安定した法的基盤を持って働ける。そういう人々は、日本と他国との相互理解を促進するエンジンとなる。市民個人レベルの相互理解が、国家レベルの相互理解の基本を築くのです。従来の、常に日本を向いた、「顔の見えない日本人」だけでは、日本は他国と理解し合うことは出来ません。

A 長年外国に住み、日本では得られない、多様なスキルを得た日本人が、あるいは日系人や日本と関係する人々が、日本でも安心して働くことが出来る。

B また逆に、日本ならではのスキルを持つ日本国籍保持者が、日本の外で、安定した基盤を持って働くことが出来る。これは、日本の国際貢献になる。

結び

日本は、国籍制度を、国際化する経済、教育、文化など、人の多様な活動の現状に会わせて、変える時期に来ています。国籍制度の国際化が遅れれば遅れるほど、日本は多くを失います。失うものは、今すぐには目に見えないかも知れません。だからこそ、恐ろしいのです。気づいたときにはもう手遅れ、ということになってはいけません。

それでも尚かつ、国籍は一つでなければならない理由は、もう無いと言えます。


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