戦争花嫁について

IST請願の会

 太平洋戦争の終結後、米軍を主として軍人、軍属と国際結婚し、海外に移住した日本人女性は「ウォーブライド」または「戦争花嫁」と呼ばれています。現在日本ではほとんど死語です。アメリカに渡った戦争花嫁は5万人から10万人と言われていますが(林かおり・2002)、他にもイギリス、カナダ、オーストラリアの戦争花嫁が存在しています。

 彼女たちは自分の幸せのため、親を捨て日本を捨てた女、といった否定的な印象を持たれがちな様です。様々な偏見を受けながらも、たくましくも健気に生活されていると聞きます。

 戦争花嫁が国を捨てたと思われがちな要因に、重国籍が容認されていないという事も指摘出来ましょう。もし日本国籍を放棄することなく、外国籍を取得出来ていれば、国を捨てるという表現が適切とは言えなくなります。

 下記の発言を読みますと、この戦争花嫁と言われる数万の方々は今でも日本人なのです。異国に生活していますが、やはり心は日本人なのです。この様な方々が帰国するとき、外国人ではなく、日本人として迎えてあげたい、そう思うのが自然ではないでしょうか。

 日本国籍を無くされた戦争花嫁をはじめ、多くの不幸な方々が帰国する時の為にも、重国籍を容認するとともに、国籍喪失をした方々の再取得を申請によって可能にするなどの経過処置を、是非ともご検討下さい。

 ひたすら涙して日本に帰りたいというご老人が、一時でも日本人として帰国の出来る事を願って止みません。


 高川さん、みなさん、こんにちは。バース(豪州)在住の由美子です。もしよろしければ、もうひとつ付け加えて頂けませんか?それは戦争花嫁としてオーストラリアに来られた方々のことです。私の知っている方は、オーストラリア国籍になったがために日本国籍を無くされ、ご主人も亡くなり、今現在ここの老人ホームで生活されていますが、ボケも始まり、英語を話すことすら忘れて、ひたすら日本に帰りたいと涙して看護士の人に語るそうです。もし重国籍が認められれば、こういう悲しい老後を送る方も減るのではないでしょうか。

戦争花嫁(WebryBlog・ハワイ)より
 ある人は幸せに暮らしていて娯楽のためにビデオを借りていき、ある人は子供も大きくなり、旦那様には先立たれ、寂しいのでビデオが必要だという。そう・・たかがビデオ屋だけど、来る(戦争花嫁の)お客さんには色々なドラマがあった。
 話をしてみると、皆に共通して言える事は何年アメリカに住んでも、思うのは自分が生まれ育った日本。
 たぶん自分は最後アメリカに骨をうずめるだろうが、もう一度富士山がみたいわね、と話してくれたお客さんの言葉に、私の胸がキュンとなったのを覚えている。
 自分自身も国際結婚をして日本を後にしてこれから先年老いたとき、きっと思うのは日本だったりするんだろうと想像が付く・・。そんな時に長年連れ添った旦那に先立たれ、残されたのは自分一人になったらと考えると・・。
 戦争花嫁と呼ばれた方々。時代に翻弄されながら今でもアメリカでがんばって暮らしている。でも・・心の中はいつも日本人なんだって事を教えてもらった様な気がする。


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