二重国籍容認の要望について
                   −高川 憲之−

 私の伴侶はスイス人でゲルマン系です。私は日本人でモンゴロイド系です。そしてこの二人の人種的特徴をほぼ均等に受け継いだ子供が三人おります。
妻は容姿からして、日本では外国人であり、いくら本人が日本に馴染んでいても、いくら流暢に日本語を話せても、常に容姿からガイジン扱いされます。通勤電車に乗れば、隣の席が常に空いてしまうなんていう、日本人の無意識の敬遠気分からくる差別なども受けます。金髪であるという理由で、出身国を聞かれる前からアメリカ人扱いなどもされる事があります。
 これらの事は、覚悟の上で日本に生活している訳ですので、夫である私としてもそういう「自分が生涯ガイジンであるという孤独感」を少しでも和らげてあげられる様に努力しています。そうした努力を通じて、また時には二人の葛藤を通して、多くの事を学んで来た様に思います。
 結婚して10年が経ちました。妻は永住権を得て、日本に生活しておりますが、外人である事の制限は未だにあります。例えば、日本を三年離れると永住権は喪失し、また初めから煩雑なビザ手続きをしなければならないこと。外国人登録証を携帯しなければならないこと。犯罪に巻き込まれた場合、強制退去の命令を受ける可能性のあること。市民としての基本的な権利である参政権がないこと等、これ以外にも沢山あります。
 日本国籍を取得できれば、そういう制限がなくなるのですが、日本は二重国籍を認めておりません。日本国籍を取得すると、彼女はスイス国籍を放棄しなければなりません。でもそれは自分の生まれ育ったアイデンティティを放棄するようなもので、大変過酷な要求なのです。
 元横綱曙関でしたでしょうか、彼が引退して親方になるためには日本国籍が必要でした。その為に、アメリカ国籍を放棄しなければならなかった。苦渋の選択です。しかし、彼には相撲に関わること以外何の生活手段があり得ましょう。アメリカ国籍の放棄を決断する時、一晩泣いたそうです。
 私が同じ立場であったら、母国籍を放棄できたか本当に悩みます。日本には私を育んだ故郷があり、親がおります。その国を捨てる事なんて、どんな判断で出来るのでしょうか。よっぽど日本という国はひどい国なんだ、というような日本否定を頭にたたき込み、決別でもしなければ出来そうな判断ではありません。
 妻はスイス国籍を放棄出来ません。私も同意します。しかし、スイス国籍を維持出来るのであれば、日本国籍を取得したい意志があります。これも当然だと思います。それがやっと普通の市民として生活できる条件だからです。
 国際結婚した外国人妻や夫の二重国籍容認は欧米では当たり前のこととなっています。第二次世界大戦の前の世界情勢がそうであったように、世の中が帝国主義という、国境線を広げることに角つき合わせた時代にあっては、国民の多国籍というのは都合が悪かったと思います。簡単にいえば、敵国人の妻を娶った兵士など使いものにならないでしょう。しかし今は共生の時代であり、国境を越えた活動こそが多くの利益を生むのです。民族主義や宗教の違いによる国の分断があっても、平和な交易なくして繁栄はあり得ません。それは事実です。
 またその国家間の膠となるのが家族関係を保つ重国籍者なのです。それを理解しているからこそ、今欧米では重国籍容認が当たり前となっています。日本の国籍法は欧米の思潮に倣って作られているにも関わらず、帝国主義の段階のそれから未だに抜け出ておりません。残念なことです。
 一部に、多くの外国人を受け入れると犯罪が増して社会が不安になるとの懸念があります。だから重国籍容認も慎重にしなければならない。この主張は、冷静に考えるとおかしいのです。外国人の犯罪増加は、違法就労という形で検挙されるのが一般です。テレビなどでも入国管理局の職員が風俗店などを一斉検挙する場面が報道されます。この人達は何らかの日本人が絡む組織を頼ることが知られています。確かに、違法手段によったという責任は逃れようもないでしょうが、不法就労を許す国と、暗黙のうちにそれを求める民間の体制には、それ以上の責任があるのではないでしょうか。こういう検挙は外国人にのみ向けられ、その後ろに存在する悪質な日本の組織は検挙されません。これは様々な要因からなる日本の社会問題なのです。日本の社会問題が、外国人問題にすり替わってしまうのは恐ろしい事です。それに、外国人の犯罪増加と重国籍は直接結びつきません。日本に定住することを決心し、法を守り、平和な生活を願っている外国人が重国籍を求めているのです。
 真に重国籍を必要とする外国人は、日本の地域に馴染んでおり、また交流を通して日本社会、日本人と親密な関係にあります。その典型的な例が国際結婚をした夫婦です。親族が日本人なのですから、自分の生活を守るため、そして家族を守るためにも、遵法の精神を重んじます。例え金銭に窮しても容易に犯罪へ走ることはありません。国際結婚の夫婦はお互いの違いを乗り越えて、家族を育むという困難な道のりを経ていますから、夫婦・家族の絆がとても強く、その崩壊を招く犯罪などもっての他なのです。また、真面目に暮らす外国人、外国人同士のカップルが、ただでさえ制限された日本の生活の中で、生活基盤を破壊するような犯罪に走るでしょうか。法律を守り、平和な暮らしを願う気持ちに、日本人と外国人の別はありません。敢えて言わせてもらえれば、昨今の幼児虐待の実態を見れば、安易に結婚し、無責任に子供を作る若い日本人カップルの風潮こそ、深刻な社会問題を孕んでいるといえましょう。
 この様に重国籍容認と外国人の犯罪には関連性がないのです。また、スイスの例を取りますと、スイスでは国民の20%が外国人です。この比率は世界でも最高水準にあります。5人に1人は外国人なのですから。しかもアフリカや中近東、インドなどといった地域から多くの外国人が移住しています。ところがスイスは世界でも有数な平和で安全な国です。失業率も極めて低く、能力のある外国人を今でも積極的に受け入れています。そんな世界から常に好感を持たれる国、外国人の比率が多く高度に国際化された国であるスイスにしても、きちんと重国籍を認めています。
 スイスの例を取って数字であげた様に、大変外国人が多いにも関わらず安全であり、堅実な経済を維持することは出来るという現実を見て、どうお考えになるでしょうか。スイスだけが特別な国で、魔法を成し遂げているのでしょうか。妻や親戚、またスイス人の友人達を見る限りにおいては、スイス人は日本人と同じ人間です。またスイスに行ってスイス人を見た感想から言えば、スイス人は日本人顔負けの石頭で保守的な人々であります。彼らは正しいと思っていることについては、極めて堅い人々なのです。
 重国籍容認の問題に関してやるせなさを感じさせるものに、自分達の子供の国籍問題があります。現在子供たちは日本国籍とスイス国籍を有しています。自分の子供にスイス国籍を与えようとする母の気持ちを踏みにじる様な事は、私には出来ません。彼女の希望によって子供たちにスイス国籍が与えられました。しかし子供たちは21才になって日本の政府から、日本国籍を選択するかスイス国籍を選択するかを迫られる事になります。日本は二重国籍を認めていませんから、一方的にその国籍選択を迫る訳です。これは私にとって見れば、子供たちに父を取るか、母を取るかの踏み絵を日本政府が行う所業に等しいのです。
 スイス政府はそんなことをしません。何故なら重国籍を認めているからです。スイス大使館の見解は、この様な違いは国際法から照らして日本政府の問題であるので、無視してよいというのです。これは何を意味するかというと、子供たちが単純に、私は日本国籍を選択すると宣言すれば、日本政府は子供たちに日本国籍を承認せざるを得ない、一方のスイスは日本国籍を子供たちが選択しても、それは一向に関知することではなくスイス国籍を承認し続けます。よって法の矛盾の間に子供たちは重国籍を維持できるのです。
 ここに生じるのは日本の法律による矛盾だけなのです。そしてその矛盾の意味するものは、時代遅れの遺物であるということなのです。法の矛盾によって重国籍状態は存在するのですから、それは合法とも違法ともつかない状態です。子供たちが望むと望まないとに関わらず、その様な状態になり得るというのは、遵法の精神からしても望ましいことではありません。この問題の根本的解決策は、日本の重国籍容認しかありません。
 加えて私がやるせないのは、子供たちに日本が、国籍選択という踏み絵を強いるということです。子供たちは何の基準でそれを選択するのでしょうか。父の愛と母の愛との比較ですか、国の豊かさの差でしょうか。若いうちにその選択をして、例えば自分が子供を持つ年代になって、自分のルーツを思い知り、片方を捨て去った事の悔恨を味わう事が決してないといえるのでしょうか。国による国籍選択の強制は、親が傷つき、子が傷つきます。私は人間性を踏みにじる如き行為だと考えています。
 自分の子供が日本国籍を選択する確率は二分の一ですが、もし子供がスイス国籍の選択をしたとしたら(日本政府にとって日本国籍放棄とみなされ、子供の日本国籍が剥奪されます)、自分の不甲斐なさを嘆くと共に、そんな事をさせる日本を恨むでしょう。子育てを通し、そんな事とは関係なく、日本人である父の伝えるべき事を自分なりに子供達に伝えるつもりなのです、親の義務として。子供たちには国籍と関係なく日本人の魂があるはずです。出来れば選択という行為など国によって強制されたくありません。
 ある人は、私などの様に配偶者がヨーロッパ人であるケースは少ないと指摘します。多くの国際結婚の例は、中国や韓国等であり、これらの国は重国籍を認めていない。日本が重国籍を容認しても意味がないといいます。しかし中国や韓国が重国籍を認めていないから、日本が重国籍を容認しなくていいというのは間違っています。日本の国益という観点からしてみても、国際交流の深化は理に適っている事であって、重国籍容認は国益にプラスとなります。日本という国情を考えれば、中国や韓国とは自ずと違いが出て来ます。国それぞれです。また、貿易立国である日本はむしろスイスなどの国のモデルを良く検討した方がいいと考えます。加えて日本が国際的に開かれた国となり、他の国々と共生を模索するという姿勢は、中国や韓国のみならず、周辺アジア諸国にとっても望ましい事です。
 以上の様な理由により、私は日本に対して重国籍容認を要望します。これは日本に住み、馴染もうとする外国人にとって大変大切な事なのです。また、重国籍容認は国際結婚をして海外に住む日本人にとっても大変大切な事です。私は平成13年6月に別の団体から参議院へ重国籍容認の請願を署名して行いました。これからも、要望を行いたいと考えています。
 こういった活動は時間を要するだろうと思います。何故かというと、増えつつあるとはいえ国際結婚の割合はやはり少ないし、外国人には選挙権がないので政治家もなかなか腰を上げてくれません。また慎重派の方々にとっては、外国人の流入は形態の違う侵略行為などと見える様なのです。無論全ての外国人がいい人間とは限らないでしょう。しかし、これから必要とされる共生の社会とは侵略と対峙する考えであって、お互いの繁栄を模索する前向きな考え方です。この立場なくして、より良い社会は築けないのです。ですから、時間がかかっても少しずつでも、この運動を盛り上げたいと考えています。


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