私にとって重国籍であること
                   −山崎 奈々子

 生まれつき重国籍であるものにとって、国籍はアイデンティー形成の一部を担います。母親と父親の国籍が違うということは、両親から受け継ぐ、伝統の異なった国の法律が付随するということです。私は日本で生まれ、日本で育ちましたが、見かけが「純」日本人には見えないため、数々の差別待遇を受けてきました。どんなに日本語が自然に話せても、みんな最初は目を見張って、「日本語お上手ですね」が第一声です。中学生の時に社会体験の一部として、近所のコンビニで働いた時も、そんなことは誰にも言われたことがないのに、パートのおばさんはさかんに「やっぱり日本語のアクセントが違う」と言い張りました。見かけが「純」日本人でない人の話す日本語は「純」日本人の話す日本語と違わないと納得がいかなかったようです。同級生には「ナナちゃんより漢字が出来ないなんて、恥ずかしい」と、言われたこともあります。道を歩いている時や電車に乗っているときに人にジロジロ見られることのないほうが不思議なくらいです。

 出る杭は打たれる、ということわざの通り、周りと違うことは良しとしない日本の風潮にあって、見かけという隠せないものが理由で同化できないがゆえの苦しさを味わって育ってきました。同時に、道端のセールスマンに「ハーフ?日本語しゃべれるの?」と声をかけられると、私のかわりに怒って、「行こ。」と、相手を無視して私を気遣ってくれるおさななじみもいます。傷は子供の頃から受けつづけてきたから、よけい大きくて、深くて、やっかいです。両親の方針のおかげで、日本よりは差別を受けることの少ない、居心地の良い、もう片方の親の国に住める基盤ができていた私は運が良かったと思わざるをえません。私には、今のままの日本では生活の基盤は築けません。でも、日本も私も時々刻々と変わってきています。私のような子供の生まれる国際結婚も、私の両親が結婚した時よりもずっと多くなり、私のような、見かけだけではすぐ日本人であるかどうかは分からないような子供達も増えています。

 私にとって、日本の国籍を離脱するということは、自分の親、親戚、友達、そして自分の一部でもある日本に見切りをつけ、決別することにほかなりません。今の日本のままでは生活の基盤が築けないとはいっても、国籍を離脱するということは、ひょっとしたら、将来私のような人でも日本人として、日本に住める時が来るのかも知れない、という日本に対する期待に見切りをつけるということでもあります。日本は、生まれ育った所であるということと、両親が住んでいるところである、という意味で、いつまでも私の唯一の故郷であり続けるでしょう。そして、休みごとに日本に帰国してはいても、現在の生活基盤が海外中心になっているからといって、その国だけの国籍保持者になったら、日本にある実家に帰省するのはそれだけ困難になるでしょう。日本で受けた傷が深く、海外生活が長くなりつつあっても、私は日本人であり、日本の社会・文化・伝統・言葉・人々を自分の一部と思い、日々暮らしているということに変わりはありません。

 そこまで思い入れが強いのだったら日本国籍を選択して、もう片方の国籍を離脱すれば、と言われそうですが、日本のように見かけによる差別を受けない国の居心地良さを捨て、今の生活基盤を築き上げた所という点を無視し、もう片方の親から受け継いだ国籍を破棄しろというのも理不尽です。それは、そこが私の生まれ故郷でなくても、親の生まれ故郷であり、毎年会ってきた祖父母・いとこ・おじ・おばの住む地だからです。親の生まれ育った所、という点でも他のところとは違う居心地の良さを感じます。

 結局、私はどちらの国とも切っても切れない縁があるのです。それなのに、片方の国籍を破棄しなければならないのはなぜなのでしょう。あるいは、国籍がなくても国籍保持者と同じ待遇が受けられるのなら、自分の戸籍謄本のない地方に住むのと一緒で、国籍の有無などどうでも良くなるのかもしれません。しかし、現状はそうではありません。

 私は母の子であり、父の子でもあります。どちらとも関係のない国に住む可能性もありますが、どちらかといえば家族を大切にする自分の性格から、一生、父と母の故郷を行き来し、両国間のつながりを強くする方向に向かう可能性のほうが大きそうです。生まれた時から当たり前で、自分のライフスタイルを見ても、明らかに必要なのにどうしていまさら父か母の国の国籍を選ばなければならないのでしょう。


Return