二重国籍に関する私の考え


 重国籍は欧米諸国と中南米諸国に多いと思います。アジア、アフリカでも英連邦諸国の一部は生地主義国であれば、そのぶん出生に伴う重国籍には寛容だと思います。ちなみに、島国のオーストラリアが複数の本によると、人口の25%近くが重国籍者といわれていますので、島国か大陸かというよりも、移民受け入れ国かどうかが生地主義を採用しやすいかどうかと関連し、そのぶん重国籍に寛容なのだと思います。

 一方、移民送り出し国も、国外居住者の送金や帰国に利益を感じる場合は、重国籍を容認しやすくなると思います。かつての移民送り出し国として血統主義を維持しながら、事実上、移民を受け入れる国になっているドイツや日本などが重国籍に不寛容なのでしょうが、ドイツが移民国家であることを認め、重国籍に一定の寛容性をもちだしているように思います。

 他方、第2次世界大戦後に民族解放の機運が高まった国々では、ナショナリズムが強く、英連邦諸国の一部をのぞき、アジアの多くの国が重国籍に不寛容なことと関係しているのだと個人的には考えています。

 以下は、5年前に、『外国人参政権と国籍』という本に書いた二重国籍のメリットとデメリットです。

 近年、ヨーロッパ諸国が、二重国籍に対して肯定的に考えるようになったのは、まず、個人にとって、つぎの二つの利益があるからとされている。(1)生来の国民と同権の多くの自由と権利を複数の国で享受できる。(2)複数の国との文化的関係を実効的に維持できる可能性がある。

 さらに、国家にとっても、つぎの四つの利益が考えられている。(3)二世、三世の移民の統合の手段となる。(4)安定した人口と比較的よい労働力をもたらすのと同時に、外国人の集住化を防ぐ。(5)国家が国民との良好な関係を維持することができ、その人があとでいつか帰ろうという気持ちになる。(6)国外にいる国民が、国内の家族に財政的に援助できることを利益と考える国もある(Schade 1994:409)。

オランダ政府が永住する外国人にオランダ国籍の取得を奨励する主要な理由は、すべての人が国籍をもっていたら、国籍に基づく法律上の差別は不可能だということによる(Beden 1994:105)。ドイツでは、連邦参議院では可決した二重国籍の構想は、連邦議会で否決され、廃案となったが、近年、日本でも、二重国籍を求める永住者の声があがりつつある(李英和、一九九三、四九
五一頁)。

 しかし、日本では、二重国籍回避の原則がいまなお根強いのは二重国籍にデメリットがあると考えられているからであろう。たしかに、六〇年代には、二重国籍は尊重すべきとは考えられていなかった。一九六三年に重国籍削減協定が結ばれた理由は、一方で、二重国籍者にとって、つぎの三つの不利益が想定されたからである。(1)その人を保護すべき義務を両国が感じなければ、外国での外交上の保護が受けられない場合がある。(2)結婚、離婚および相続権についての複雑な法的状態をまねく。(3)複数の国で兵役義務を課されるおそれがある。

 また、他方で、国家にとっても、二重国籍を認めると、さらに三つの不利益が考えられた。(4)とくに戦争や緊急事態において国民の忠誠心を欠くおそれがある。(5)国家の裁判所の決定から逃れる者がいる可能性がある(Schade 1994:408)。(6)両国での二重投票のおそれがある。

 このうち、(1)の外交的保護は、実務上、問題となる例はごくまれであり、むしろ法理論上の問題といわれる(Munch, 1994:1200)。(2)において、国際結婚が破綻したときに、一方の親が子どもを連れて本国へ帰る場合、他方の親が子どもを取り戻す訴訟を提起することが困難な「合法的な子どもの誘拐」と呼ばれる問題があるようである(Hammar1990:116)。

しかし、一般には、(1)の外交的保護と(2)の法制度の抵触の問題は、国際法上、その者が一方の国籍国にあるときには、その国の国籍に基づき、第三国にあるときは「その者が平常かつ主として居住している国か、その者と事実上もっとも関係の深い国の国籍」である「実効的国籍」概念に基づいて、処理される。(3)の兵役義務も、(6)の二重投票も、国際的な取り決めにより、問題の解決は可能であろう(広渡、一九九五b、四六頁以下)。なお、(3)の兵役義務と(4)の戦争時の忠誠の分裂に関しては、とりわけ兵役も戦争も放棄した日本国憲法にあっては、論点とはならないことも留意すべきである。

 憲法を離れた政策上の議論としても、どちらの国にも愛着と忠誠を感じる国民が増えることは、安全保障上も得策であるとの見解も成り立とう。おそらく、二重国籍を「悪」と考える従来の観念は、実証的な研究により氷解されていくことであろう。

 そして、最近、『外国人の人権と市民権』という本に次のように書いています。

 そのうえ、一九九七年には、欧州評議会は、一九六三年条約を根本的に見直し、重国籍を認めるかどうかは各国の自由な判断に任せるとの「中立的」な立場から、新たに、「ヨーロッパ国籍条約」を定めた。その一五条において、「別の国の国籍を取得または保持する国民が、その国籍を維持するか、喪失するか」について、「国内法で定める締約国の権利を、この条約の規定は制限するものではない」と明示している 。したがって、ヨーロッパでは、国籍唯一の原則は、大きく修正され、重国籍がいっそう認められる傾向にある。

 また、ヨーロッパ国籍条約一四条一項aは「出生により当然に相異なる国籍を取得した子どもが、これらの国籍を保持すること」を締約国が認める義務と定めている。したがって、出生により自動的に重国籍となった子どもに、将来、選択義務を課すことは、この条約違反になる。近年の国籍に関する国際法の新傾向からすれば、重国籍は悪弊なのではなく、日本のように国際結婚等による二重国籍者に対し、成人してからの国籍選択義務を課すことの方が、むしろ悪弊と考えられるようになってきている。

 今日、多くの国で重国籍者が数多く生活しており、現実には、伝統的な反対論が唱える忠誠の衝突ということは問題となっていません。こうした実例が重国籍を広く認めるためのヨーロッパ諸国での最近の法改正の根拠となっています。


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