大出小委員 民主党の大出彰でございます。
 私は国籍についてお伺いをしようかなと思っていまして、実は、二重国籍を求めている方々がおられまして、配偶者の方が外国人という方々ですね。イスト・請願の会という方々が、イストというのは、何々を推し進めようという意味なんでしょうね、皆さん外国人を伴侶に持っておられて、子供さんが生まれたり当然するわけですが、大変不都合なことがいっぱい起こったりするんですね。何とか二重国籍を持った方が本人たちも便利ですし、それから、当然、宇多田ヒカルさんなんかも持っているでしょうね。それとかペルーの元大統領のフジモリさんなんかも二重国籍ですし、日産のカルロス・ゴーンさんなんかもフランスとブラジルの二重国籍で、非常に現実に二重国籍がないために不自由をしているという。
 それと同時に、そんなに多くいるわけじゃないものですからなかなかその声が国会に届かないということで、私も請願の紹介人になることになっているんですが、そのときに、国籍というのが問題になってきまして、どうなんでしょうか、私はあえて間違えるかもしれないことを言いながら、少なくとも外国、どこで生まれてもいいんですが、要するに出生で国籍を取得する子供さんには、基本的に二重国籍を求める権利があるんではないかと実は思ったりするんです。
 憲法だと、国籍という言葉が出てくるのは二十二条二項の国籍離脱の自由というのがありますね。そうすると、実証的に考えれば、言葉としてあるわけですから、権利としてあるのではないか。そうでないと、本人は、生まれたのは自分の責任ではございませんでしょう。そうすると、日本の国籍ともう片方の国籍、どっちかを選ばなきゃならないとなると、お父さんかお母さんかということになりますので、非常に酷な話なんですね。
 そこで、人権享有主体性のところで、実は、生まれながら持っているといいますか、生得の権利というか天賦人権といいますか、そういったものを考えないといけないんではないかなとか思ったりもしているんですが、国籍についてはどんなふうにお考えでしょうか。
安念参考人 国籍はある意味で便宜的なものだということは何度も繰り返し申し上げたところでございまして、そう考えますと、二重国籍をあえて排除しなければならないような事情があるとは私には思えないのです。
 かつては、忠誠義務が衝突するという言い方をして、二重国籍はだめなんだというふうに申しました。実際、そういう例はかつてはあっただろうと思うんです。戦争が決して非日常ではなかった時代にはそうだろうと思うんです。先生御存じかと存じますが、吉田満さんの「戦艦大和ノ最期」の中には、日米二重国籍の学徒士官が、最後には大和に乗って出撃して死ぬという極めて印象的な場面がございまして、そういう悲劇を生まないというか、そういう義務の衝突を生まないようにすることが必要なんだというようなかつての説明はあったと存じます。
 しかし、私は、そういう義務の衝突がどうしても起こるのならば、それはそのときにその御本人のリスクで判断すればいいことであって、あらかじめ二重国籍を排除しなければならないというようなせっぱ詰まった必要性が現代社会においてあるとは思っておりません。したがって、私は、二重国籍を求める権利があるというふうに言われますと、そういう権利は少なくとも憲法上はないと思いますけれども、二重国籍を排除しなければならない立法政策上の差し迫った必要があるとも考えておりません。
大出小委員 権利があるというのは、あえて誤解を覚悟で質問してみたんですが。
 どうしても一番ひっかかるところは、子供さん自体は自分の責任ではなく生まれついて、それで取れないということですと、その部分でなぜなのかということがあるものですから思っているわけですね。
 それで、国籍を考えたときに、ある意味では一つの国の構成員を決める枠ですよね。そして、その枠という問題と、この枠の中にどんなものを入れるかという二つの問題があると思うんですね。私は、その枠の部分では権利としてあるのではないかと実は思ったりするんです。中身をどんなにするかというのは、先生のようなお考え方で、法律で決めていくという考えもあるかもしれませんが、その辺はどんなふうにお考えでしょうか。
安念参考人 まあ親は選べませんから。そうお思いになりませんか。
 つまり、国籍だけじゃなくて、いや、この親の子供に生まれなきゃよかったのになと思うことは、大抵の人は人生に一度や二度はあるものでございますけれども、私は、国籍においてもそれはしようがないんじゃないかと思いますね。
 それは確かに、どの親に生まれてくるのかというのは子供が選択しているわけじゃありませんので、ある意味でそれは過酷な話ですよ。自分の選択じゃないのにアフガニスタン人の子供に生まれてしまった、あるいは日本国民の子供に生まれた、何も子供の選択じゃないのに、そこから人生は大違いでございますね。
 しかし、それなら、多少なりとも日本国と関係のある親から生まれた子供に日本国籍を権利として与えよというのであれば、そして、その主張の根拠が、子供は選択できないんだからというのであれば、アフガニスタンに生まれたアフガニスタン人の両親の子供にも日本国籍を与えるべきではないかという議論に対してこたえなければならないと思うんです。それは、だって、選択していないんですから。それはできない相談だろうと私は思うんです。
 いや、非常に博愛主義的に、非常に普遍主義的に見れば、私は、そう考えるべきだと思いますよ。すべての人が日本国籍を選びたいのなら選ぶべきだというのが理想です。しかし、それはできない相談だと言う以外にはないのではないかと思います。
大出小委員 まさに世界市民にならない限りは無理だろう、それは確かでございます。
 それで、その問題で、現在のところは法律が少し変わって、いわゆる二重国籍を防ぐような法律になってしまったんですね。その部分があって、本当は二重国籍になれるんですけれども、実際取る方からすると非常に怖いわけですよ。もしかして剥奪される、後になってどんなことになるかということがあるものですから、片一方の方の国籍を放棄したりすることになっちゃうんですね。その辺で法律の改正を求めながら、皆さんにも協力をしていただきたいと実は思っているところなんです。
 次の質問に移りますが、先生の理論でいくとなかなか質問がしにくいところがあるんですが、例えば外国人の人権の中での教育権なんかの問題は、これも多分先生だと、法的な枠の中で決めればいいということになってしまうんでしょうけれども、これ自体は、例えば、この日本の中で、外国の、自分の国の教育を子供に教えたいというのも権利的にはあるのではないかと思うんですが、その辺はどうでしょうか。
安念参考人 教える自由があるという意味ではそうだと思います。教える自由がある、自国の文化、自国の言語、自国の風習を教える自由があるというのは全くそのとおりだろうと思いますが、問題は、日本の税金を使って自国の、自国のというのは日本から見れば外国ですが、外国の文化の教育をする義務が国家にあるかという御質問でもしあるとすれば、私は、ないと考えております。
大出小委員 教育の自由の方でございます。ただ、そのときに、法律で日本の国内では何々を教えてはいけないよということも先生のお考えだとできることも起こりますよね。ですから、そのときに、それはできないんだと言おうとすると、天賦人権みたいなことを言わないとやりにくいのではないかと思うんですが、その辺はどうでしょうか。
安念参考人 私の理屈からしますと、憲法上の根拠はありません。つまり、そういう自国の文化に沿った教育をしてはいけないというような規制を政府がした場合に、それを妨げる憲法上の根拠はございません、私の立場では。それは先生御指摘のとおりでございまして、それは私も、結論として見ると、非常に落ちつきが悪いというのか、非常にアンカンファタブルな結論でございますが、しようがない。しようがないというのは、私の頭の整理をそういうふうにしてしまった以上、それは仕方がない。しかし、それは大変に賢明でない立法政策だ、こういうふうに思います。文明国がすべき立法政策ではない。大変逃げの言い方でございますが、そう思います。
大出小委員 先生の中で、何度も言って大変申しわけないんですが、非常に質問しにくいんですが、再入国の自由というのと、あるいは公務就労権というんですかね、そのことについて触れていなかったんですが、どんなようなお考えでしょうか。
安念参考人 再入国の自由については、入国の自由がないのと同様に、憲法上の権利として外国人にはないと考えております。
 しかし、そのことと、先ほど春名先生でいらっしゃいましたかな、要するに、国際条約が再入国の権利を認めていて、それに日本国が加入していれば、条約に拘束されるのは当然のことでございますので、その意味での再入国の権利はあるというふうに考えます。
大出小委員 公務就労権の方はどうですか。
安念参考人 憲法上ないと考えます。もちろん、認めることは自由でございます。
大出小委員 以上でございます。
 ありがとうございました。


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